ローマ教会から見た『刀使ノ巫女』

12月24日を迎えました。

今日はクリスマスイブであると同時に、皐月夜見さんのお誕生日ですね。

 

夜見さん。

お誕生日おめでとうございます。

 

はい。

 

というわけで、刀使ノ巫女 Advent Calendar 2018の24日目の記事です。

adventar.org

今回も懲りずに好きなネタでつらつら書いていこうと思います。

扱うテーマは

 

刀使ノ巫女の世界のローマ教会について」

 

です。

 

まずローマ教会とはなんぞやということですが、全世界で最多の信者数を誇るキリスト教のうち、最大宗派であるカトリックを指します。*1

カトリックはローマに総本山であるバチカン市国があるので、ローマ・カトリック教会とも呼ばれたりします。「カトリック」といったときには宗派、「ローマ・カトリック教会」といったときには教会組織を指すニュアンスが強いので、以下では後者の略である「ローマ教会」を使用します。

 

さて、本題に戻りましょう。

 

刀使ノ巫女の世界におけるローマ教会は、刀使やひいてはノロ/荒魂についてどういった反応を示すかということですね。

 

まず刀使やノロを知らないということはないでしょう。

特段隠されていることでもないですし、日本にも管区が存在する以上、教皇庁に情報がいっていないということはまずありえません。

 

では彼らがいつ刀使たちのことを知ったのか?

それはおそらく16世紀、かの有名なイエズス会フランシスコ・ザビエルらが日本へキリスト教を布教しに来たときでしょう。彼らの滞在期間はわずか2年でしたが、それだけあれば刀使や荒魂に触れる機会は十分にあったと考えられます。

 

これを前提としたうえで、以下の三点について妄想を撒き散らしていきたいと思います。

 

①神性と聖性

②ヘクサエメロンから見る珠鋼とノロ

③ローマ教会が刀使・ノロ・荒魂をどのように捉えるか

 

①神性と聖性

 

刀使ノ巫女公式サイトによると、珠鋼には神性が、そしてその残滓であるノロには負の神性があるとされています。

しかし、ローマ教会にとってはこの「神性」という単語が問題になってきます。なぜなら「神性」(divinity/Göttlichkeit/divinitas)という語は創造主たる神ひいては神の子であるイエス・キリストにしか使われないからです。

珠鋼に「神性」があると認めることは、珠鋼が神と同格の存在と認めることと同義です。ましてや負の「神性」なんてものはもってのほかです。一神教であるにもかかわらず、もうひとりの神をつくりだしてしまうことになってしまいますから。

 

では「神性」という語の代わりに何を使うのか?

 

それはおそらく「聖性」になるかと思います。

「聖性」は「神性」と違って聖人や聖遺物、聖水、聖杯といった人や物に使われる語です。ただ日本語の「聖なる~」にあたるsacredとholyのうち、どちらが珠鋼に使われるかはわかりません。

前者なら人の手で聖別されたというニュアンスが、後者ならHoly Land(=聖地)のように元から聖なるものであるというニュアンスが強くなるので、どちらかといえば後者のような気もしますが。

 

どちらにしろ、ローマ教会が「神性」という語を珠鋼に使うことは絶対にないと断言できます。そんなことをしてしまえば、ローマ教皇の首がいくつあっても足りません。

 

②ヘクサエメロンから見る珠鋼とノロ

 

前段で神性と聖性の差異について確認しましたが、そもそもノロに関しては「聖性」という語すら使わないでしょう。

 

基本的に「聖性」をもつものから分離したものは2種類に分かれます。

ひとつはそのまま聖性を維持するもの。

聖人の骨や衣服=聖遺物や、聖槍あたりがそうですね。大部分はこちらになるかと思います。

もうひとつは、明確な「悪」となるもの。

こちらの例として創造の6日間についての解釈であるヘクサエメロンが挙げられます。

創世記の冒頭に「神は言われた。『光あれ』こうして光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた」という記述があります。*2

このうち「光を見て、良しとされた」という部分を「光=良いもの=天使」であり、光の創造とは天使の創造に他ならず、光によって分けられた夜は悪いもの=悪魔であるという解釈が存在します。

 

珠鋼とノロの関係もおそらく上記の解釈と近いものになると思われます。

すなわち、珠鋼には(教会が認めるそれとは違うものの)「聖性」が存在し、そこから零れ落ちたノロは「悪性」をもつものであるという解釈です。

ノロが集まって荒魂になり、人に害を及ぼすところからも、「悪性」を認めることは何の問題にもならないでしょう。

 

③ローマ教会が刀使・ノロ・荒魂をどのように捉えるか

 

さて、そんな「悪性」をもつノロを祀る日本人を、当時のイエズス会士たちは全く理解できなかったでしょう。彼らからすれば悪魔を祀っているようなものですから。

布教を進めるにあたって宣教師がとり得る選択肢は2つです。

1. 既存のローカルな信仰を全て否定し、改宗させる(理想路線)

2. ローカルな信仰を認めつつ、キリスト教を受容してもらう(現実路線)

 

これが問題となったのが典礼問題や典礼論争と言われる一件ですね。世界史の教科書が手元のある人は開いてみてください。おそらく載っているはずです。

 

中国での伝道活動にあたってイエズス会士たちは2の手段を取りました。キリスト教に改宗以後も孔子や祖先の礼拝を認めたのです。

しかしフランシスコ会ドミニコ会は1を強行に主張しました。

おそらくノロを社で祀ることに関しても同様の議論が起こり得たものと思います。

紆余曲折を経て1715年に教皇クレメンス11世は伝統儀礼を禁止し、1742年に教皇ベネディクトゥス14世が典礼論争自体を禁止しましたが、この時点ですでに日本では宣教師たちが追い出されていたので、日本の信徒たちはそのままノロを祀ることを続けたのだと思います。

 

そして2018年。

さすがに現代のローマ教会は伝統儀礼を禁止してはいません。

同性愛や中絶を一貫して禁止するなど相当に保守的なローマ教会ですが、最近は本当に少しづつですが変わりつつあるような気がします。

 

そんなローマ教会が刀使やノロ、荒魂をどう捉えているかについてですが、基本的に「関与しない」という方針になるかと思います。

極東の小さな島国の問題に関与できるほどの力は今のローマ教会にはないですし、刀使やノロ、荒魂についても無理にキリスト教の枠組みに組み入れようとはせず、信仰が侵されない限りは静観するでしょう。

 

長々と語っておいてそれかよと思うかもしれませんが、案外そんなものです。

みなさんが想像するより教会は怪しくもなければ、大きな権力もありません。あくまでも信徒たちにとっての家なのですから。

 

というわけで、前回に引き続き参考文献の紹介。

もっとも、今回は大学時代の講義資料を元にした部分が多いので、1冊だけです。

ヘクサエメロンとかに関してはRI-OPACを漁れば面白そうな論文が見つかるかもしれません。ちなみにCiNiiでは1本もヒットしませんでした。日本で中世ヨーロッパ史の研究者が少ないのはとても残念です。

http://opac.regesta-imperii.de/lang_en/

 

・『岩波キリスト教辞典』

 

岩波キリスト教辞典

岩波キリスト教辞典

 

 

あらゆるキリスト教の用語について学術的な解説が載っている辞典です。

色々創作のネタに使えることがなきにしもあらず。

 

ここまで読んで頂きありがとうございました。

冬コミに来られる方は弊サークルを何卒宜しくお願い致します。

 

 

 

 

純愛はいいぞ。

*1:CIAの公式サイトより。

https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/xx.html

世界の人口が74.1億人で、うちキリスト教徒が31.4%なので約22.4億人ですね。さらにそのうちカトリックの人口は12.9億人ほどとのこと。

http://www.thetablet.co.uk/news/9241/increase-in-number-of-catholics-worldwide-according-to-vatican-stats

*2:日本聖書教会『新共同訳 旧約聖書』p.1