『ef』感想

魔法少女が魔女になる瞬間に発生する莫大なエネルギー。その源は第二次性徴期の少女の希望と絶望の相転移なのだ」と、どこかのインキュベーターは言った。

 

希望の対極が絶望なのだろうか。

 

「災厄で溢れた箱の底には一握りの希望が残っていた」と、遠い国の神話では語られた。

 

絶望を乗り越えた先には希望が待っているのだろうか。

 

そんなことを考えながら、『ef』の感想をつらつらと記してみよう。

 

 

~はじめに~

 

これまでプレイしてきたエロゲとは異なり、『ef』は章ごとにスポットが当たる人物が異なる群像劇であった。一切の前情報を入れずにプレイしたため、二章へ入った途端に一章の登場人物の影がぐっと薄くなったのにはやや面食らったが、問題なく楽しめた。

 

むしろ、クリアした今となっては『ef』は群像劇でなくてはならなかったとさえ言える。

 

~第一、二章~

 

この二つの章は時系列的にも登場人物も共通しているため、まとめて語るのがよいだろう。

 

まず第一章で主人公を務めていた広野紘。

学生としての生活を送りながら(それほど人気が出ていないとはいえ)漫画家として活動しているという時点で、なかなかの高スペックだ。昔からの幼馴染である新藤景と、奇妙な縁から知り合った宮村みやこから想いを寄せられる。

 

第一章終了時点では、紘とみやこのごくありふれた恋物語にしか思えなかったが、第二章を終えてから振り返ってみると、紘の隣にいるのはみやこでないとダメなのだと感じた。

もちろん、景と結ばれてもそれなりに楽しい未来は待っていたのだろう。だが、きっと学業にも漫画にも専念できず、ゆっくりと朽ちていくだけだったのではないだろうか。

 

居場所を求めてふらふらと彷徨っていたみやこに出会ったからこそ、紘は彼女が帰ってくる場所になる覚悟を決められた。良くも悪くも、みやこは特別(あるいは特殊、異質とも言えよう)なのだ。景は既に紘の日常の一部と化しており、彼に覚悟を決めさせるに足る存在にはなり得なかったのだと思う。

 

その景は、「自分の想いを伝えなければ望む未来は手繰り寄せられない」という現実に向き合えないでいた。一種の現実逃避だ。確かに、想い人と近い距離で気軽に過ごせるのは心地よいだろう。しかし、それはぬるま湯の心地よさに過ぎないのだ。だからこそ、より熱情をもったみやこに遅れをとってしまった。

 

そして彼女の前に現れたのが、「映画」という虚構にのめり込む堤京介であった。第二章は、ともすれば人によっては京介と景の傷の舐め合いに見えたかもしれない。実際、そういった側面もあっただろう。だが、紘にとってみやこが最良のパートナーであったように、景と京介も、停滞した「今」から「未来」へと目を向けるためには、互いが必要不可欠だったのだと思う。痛みを知る人間を癒せるのは、同じ痛みを知る人間だけである。

 

さて、この4人の物語の導き手となっていたのが雨宮優子だ。

明らかに常人ではない雰囲気を出していたが、この時点ではほとんど詳細はわからない。それでも、物語冒頭の火村夕との邂逅のシーンからして、何かしらの鍵を握っているのだろうなとぼんやり考えていた。

 

~第三章~

 

この章で、私は初めて涙を流した。

自分が何者になれるのかと悩む少年、麻生蓮治と、たった13時間しか記憶を保持できない少女、新藤千尋の物語。

記憶障害を抱えたヒロインと、それに向き合う主人公という構図はそれなりにありきたりだ。だが、二人で一つの物語を書き上げるという展開はとても気に入った。たとえそれが、「終わり」へと続くものであったとしても。

そう、物語は「終わり」があるからこそ物語なのだ。

けれど、千尋は選ばなくて済むのならば、13時間という枷さえなければ「終わり」など選びたくなかったはずだ。選ばざるを得なかった彼女の苦悩は、記録はあっても「感情」が付随しない痛みは、どれほどのものだったのだろうか。

 

物語を終わらせ、自身の半身にも等しい手帳を蓮治へ渡したとき、もう泣くしかなかった。そして何より、蓮治が悩みながらも千尋と彼女の病気と真正面から向き合うことを誓い、物語の「終わり」を書き換えて再び千尋の前に姿を現したときには、さらに泣かされた。

 

たった13時間しか記憶が保てない、と千尋は言った。

けれど、彼女が蓮治と共に過ごした時間は嘘ではない。たとえ記憶がなかったとしても、蓮治と言葉を交わした唇が、「好きです」と音を発した喉が、寄り添いながら繋いだ手が、なによりも彼に抱かれた身体が、覚えているはずなのだ。少なくとも私はそう思ったし、そう望んだ。

小さな奇跡をひとつ願っても、バチは当たるまい。

 

二人の未来は決して平坦ではなく、茨も多いだろう。

けれど、この二人ならばきっと歩き続けられると感じさせられた。

 

~第四、終章~

 

ここからは夕と優子の話を中心に記していきたい。

申し訳ないが、修一とミズキは周縁に置いておくこととする。

 

二人の物語を読み終えたとき、第一、二章の登場人物である紘、みやこ、景、京介の四人は夕、優子、凪、修一の予型だったのだと気づかされた。時系列からいえば夕たちの方が先なのだろうが、物語の構成を踏まえれば紘たちを予型と言ってしまってよいと思う。紘たちがそれぞれ未来ある描かれ方をしていたのに対し、夕たちは必ずしもそうではなかったのが悲しいが。

 

また、夕と優子二人の関係性に限れば、それは蓮治と千尋の関係に似ている。優子と関わりぬいた経験があったからこそ、夕は蓮治に「千尋と関わるなら覚悟をしておけ」と半ば脅すように、半ば励ますように言ったのだろう。過去の自分を思い出して懐かしく思ったのか、若さ故の眩しさに目を細めていたのかはわからない。

 

夕と優子から全てが始まった。

「お金が全てではない」とはよく聞く綺麗事ではあるが、やはりお金がないと選択肢がぐっと狭まるのは事実であろう。しかし、絶望の沼から抜け出した優子にとっては、たとえ一人分の食事を二人で分け合うような家計でも、夕がいれば幸せだったのだと思う。

 

子供ができたと判明したとき、夕が現実的な選択肢をとらなかったことは安心した。現実世界ならば、あそこで中絶を選択するのが「賢い」とされるに違いない。しかし、これはフィクションだ。フィクションの中くらい、夢のような幸せが見たいのだ。

家族を失った二人にとって新たな絆となる子供。どれほど祝福されて生まれてくるのだろうと胸が踊った。同時に、終わりに近づいているのだろうな、という予感もしていた。当たらなければいいのにと思ったが、駄目だった。

 

終わりもまた彼ら2人であった。

それぞれが紡いだ縁はそれほど多くはなかっただろう。けれど、縁がまた一つ縁を紡ぎ、その縁がさらに他の縁を紡ぎ……と少しずつ繋がりができていった。そうして最後には、二人の元へと還ってきた。

 

最後アニメに切り替わった箇所では、ただただ切なかった。誰よりも愛しい人、未来を共に歩むはずだった人と別れて、奇跡とはいえ再会できたのに二人ともあまりにも物分りが良すぎた。「もっと一緒にいたい」と慟哭してもいいはずなのに、叫び声をあげることも、別れ際に振り返ることすらしなかった。それが私にはひどく悲しくて、寂しかった。

 

成長するとはこういうことなのだろうか。それとも二人とも既に未来に目を向けていて、再会はそれを確認するための儀式に過ぎなかったからなのだろうか。

 

もう一度言おう。

悲しくて、寂しかった。

しかし、同時に尊さも覚えた。長い旅路の果てに再び巡り合った二人の答えを、私は肯定したい。

火村夕と雨宮優子が始め、終わらせた物語を祝福しよう。

彼らが繋いだ縁が、導いた人が、胸の中に鮮明に刻み込まれた。

 

優子との別離のあと、夕とミズキが"もう一つの"音羽の街を眺めるところで物語は終わる。

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確かに、オーストラリアの地に建てられた街は、オリジナルの鏡でしかないのかもしれない。しかし、そこで暮らす人々の営みは本物だ。毎日幸せがあり、同じ数だけの不幸も生まれている。

 

時折、光は"良きもの"であると言われる。

ならば、街全体に降り注ぐ天光はきっと祝福なのであろう。

 

聖書の言葉を借りるならば、登場人物たちにこう言いたい。

「光あれ」と。

 

~雑な感想~

 

・CG:良

・音楽:良

・キャラ:最良

・ストーリー:最良

 

そこらへんの下手なフルプライスゲーを買うよりよほどコスパが良いので、みんな買いましょう。新海誠が手掛けたオープニングも必見だよ。

 

次はなろうの備忘録でも書きます。多分。予定は未定